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「 無題 」
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無題
お友達がミクシィの日記でこんな事を書いてたのを見かけてちょっと心が落ち着いているサクです。


WHOから、日本への渡航制限は不要と断言。
高々度での放射性物質は見られず。
5号機が復旧。

ひっ迫した事態は今日で終わるかも知れない。


このまま全て復旧に向かってくれれば私も安心して萌え発信できそうです←

こんな所に書くべきかどうか迷ったのですが、どうしてもできれば一人でも多くの方に知って欲しいし、自分の身を護る為にも気にしていただけたらと思った事を続きに書いておきます。もしお時間ある方は目を通していただけると嬉しいです。全然萌えとか関係ありません……


揉めている場合ではないとは言うけれど、やはり私はあの内閣がこの緊急時に舵取りをしていく事に本当に危機を感じます。


今被災地の人には政治どうこうなんて言ってる余裕は無い。だから冷静に見られる所にいる人は今の政府の実態をしっかり見極めて今後日本が同じ被害を被らないようにしていくべきだと思います。

下に載せたニューヨークタイムズの記者の文にもあるけど、言うべき文句は言えば政治家はもっとこたえてくれるようになるはずです。
政治に無関心であるという事は自分の命を護る事に対して無関心だと言う事と同意になると思います。

今回、震災直後の理性的、秩序だった日本人の行動は世界から賞賛を受けました。しかし時間がたつごとに、日本人は本当に復興する気があるのか?といった声が海外で報道されたり、折角来てくれた海外の救援隊が、これではまともに救援が出来ないと帰ってしまったりしています。
これはもちろん第一線で頑張ってくださっている自衛隊や消防隊の皆さんの事ではなくあまりにも機能しない政府、又そんな政府に対してなんの文句も言わない日本人に対しての言葉です(ネットではそうでもありませんが、やはり日本はまだまだテレビ報道が力を握っています……)



菅がまともに機能しない中必死にやっている……ように見える枝野氏。が、実際何も出来てないのでは意味がないと思う。 
それなら、分からないから助けてくれと経験豊富な自民の議員にでも助けを求め協力してくれた方が100倍国民の為になる。

しかも彼は原発のメンテナンス費を仕分けした張本人です…… 


人の命が懸かっているのだから(しかも何十万という)頑張りました、でも駄目でした!では済まされないと思う。

本当に本当にどうしようもない場面っていうのはこんな状況の中だとあると思う、本当に全員絶対救うなんてのは現実的に考えて無理だとは思う。

でも明らかに今の政府の穴は埋められる穴なのに埋めていない、むしろ穴を掘っているという部分もあると思う。

野党にも協力を仰いでという内容を政府は会見で言ってはいましたが、谷垣総裁の会見を見る限り野党の提言は全く受け入れられてない様子。
(で、どうしようもなくなった今になって責任を擦り付けるような形で谷垣氏に原発担当大臣になってくれ等と頼んでいますが、もう意図が見え見えです。初期の段階での提言は全く無視し、邪魔をするなと言っていたのに、ここまで滅茶苦茶にした後責任とる係になれなんて虫がよすぎるでしょう)


○緊急事態だから国会休止を野党が提言→ 民主党「予算通さないと、子ども手当てが……」
え、誰がそれいるって?今誰がそんなもん欲しいって?!!


○物資が届かない→ 自治体から要請がきてなかったから物資はあるけど放置 
 発送方法がなかなか決まらないから放置


○青森県;政府が相手にしてくれないので自民党にお願いしたら港に船が来た


○もっと早い段階で米国からの援助をお願いしていれば原発はここまで酷い事にならずに済んだはずだが、菅達は自分達の体面を保つため拒否。


○菅のパフォーマンスの為の現地視察が東電の原発対応を遅らせた
http://blogs.yahoo.co.jp/raindoropblue/19311140.html「福島原発は人災」

○節電大臣(?)のレンホーこれまたパフォーマンスの為近場のコンビニ視察。それ必要あるの?百貨店には節電要請するのに、ネオンを煌々とさせるパチンコ屋には呼びかけず。
100年、200年に一回の災害の為に備えるなんて無駄ですと仕分けられた4000億円……これでどれだけ助かるものがあったか……

○こんな時なのに、中国政府の顔色伺って台湾からの援助を拒否。台湾の救援隊は自力で被災地に入ってくれました…


これは絶対知られるべき!



そして何故今仙石?!自衛隊を暴力装置と呼んだ仙石に今こんな形で出てこられるとか不安すぎる、これは人民解放軍受け入れ準備なの?とか思っちゃうよ、尖閣の件もあるし。
それから各国から救援部隊が来る中、政府は中韓だけは空港までお出迎えと特別待遇。マジ何なの?





今後、日本は復興の為に本当に大変な時期を乗り越えていかなければなりません。今回の原発災害、東電が全額賠償金を払う事はないだろうといわれています、国でこの汚染や復興を支えていかなければなりません=国民で負担する=増税という形になると思います。
そんな時、今の民主党のように、国民の生活二の次、自分達の面子や外国人にお金をばら撒くことに必死な政党では生活はますます苦しくなります。
政治家を選ぶ=自分達の生活、命を任せる事と思って、テレビの嘘や下らないパフォーマンスに惑わされずに日本の為を思ってくれる人を選んでいきましょう><




私も日本は復興する!日本人は何度でも立ち上がるんだ!と信じて前向きな気持ちでいたいです!
今私に出来る事は、募金、政府の監視、日本製のものを買うぐらいしかありませんが、この先何か出来る事があればどんどんやっていきたいと思います。


ガンバレ日本!




以下、ニューヨークタイムズの記者が書いた記事です。
遠い所から、こんな風に見てくれてる人もいると思うと嬉しい事です
日本人として、元気が出ます!(ていうかこの人一般的な日本人より日本に詳しそう^^w)


Sympathy for Japan, and Admiration
日本への哀れみ、そして称賛

痛ましい地震のその後、我々は日本の人々と思いを共にしている。これは日本で記録された最悪の地震である。しかし、私が本紙の東京事務局長として日本に住んでいた1995年の阪神大震災(6千人の犠牲者を出し、30万人の人々が家を失った)において報道した経験を思い起こすと、私はこう付け足さなくてはならない。「今後数日、数週間の日本を見ていよう。私たちはきっと何かを学ぶだろう」。

日本の政府が特に地震をうまくコントロールしている、というのではない。
政府は1995年の震災においては救助活動の管理を完全に誤り、他国から送られてきた薬や救助犬を取り上げて、その名を汚すこととなったのである。
気も狂わんばかりの最初の数日間、人々はまだ瓦礫の下で生きていたのであるが、政府の無能によって不必要に死んだ人たちがいたのである。

しかし日本の人々自身の忍耐力、冷静さ、そして秩序は、実にみごとであった。
日本でよく使われる言葉に「我慢」というものがある。
英語にはぴたりと当てはまるような訳はないのだが、言うならば "toughing it out."(耐え抜く)と同じような意味である。
そしてこれが神戸の人々が実際に行ったことであった。
畏敬の念を抱くほどの、勇気と協調性、共通目的を持って。

日本の秩序と礼儀正しさに、私はしばしば感動していたが、神戸の震災後ほど、それに感動したことはない。
神戸空港のほぼ全体が破壊され、街中の商店のガラスが割れていた。
私は略奪や、救援物資をめぐる乱暴な押し合いへし合いなどの場面を街中探し回った。
ようやく、2人組の男に強盗に入られたという店主に出会い満足したところで、いくぶん芝居がかったふうにこのように尋ねた。
「同じ日本人が、自然災害を利用して犯罪に走るということについて、驚きはありますか?」
店主は驚いたように「誰が日本人だと言ったのだ。外 国 人だったよ」と答えたのである。

日本にも貧しい人々はいる。しかし他の国々と比べると、極端に貧しい人々はほとんどいないし、非常に高い共通の目的意識を持っている。
中流階級が非常に多く、実業界の成功者であっても、儲け過ぎていると思われることを伝統的に恥じる傾向がある。
そのような共通目的意識は、日本社会の構造の一部であり、自然災害や危機の後では、特に顕著に表れるのである。

これについてはあまり良く言い過ぎてもいけない。
日本の礼儀正しさの裏には、学校や職場におけるいじめや、不法行為によって利益を得るやくざ、政治家と実業家の癒着といった問題が存在する。
しかし神戸の地震の直後、やくざまでもが被災者に食料などを配るためにカウンターを設置していたのは、衝撃的であった。
そして日本の社会構造は決して壊れることはなかった。かすり傷ひとつ負わなかったのである。

日本人のこういった冷静さは、日本語の中に組み込まれているといえる。
人々は「仕方がない」と言うのが常であり、他の人にかける言葉として最も多いのが「頑張ってください」―耐え抜け、強くなれ―という言葉である。
そして自然災害は「運命」の一部と考えられている。
16世紀の日本を訪れたイエズス会の者による、古い記述を読んだのを思い出す。
地震が村を破壊したその数時間後には、農民たちは自分の家を建て直し始めたというのである。

忍耐強く、周りと協調して立ち直ろうとする精神は、日本人に深く根付いている。私はしばらく長男を日本の学校に通わせたことがあるが、幼い子供たちが真冬でさえ半ズボンで学校に行かされている光景を忘れることができない。
気骨をつくるというのがその考えであったようだが、単に風邪をひかせるだけだと私は思っていた。
しかしそれは「我慢」を徐々に教え込むためのまたひとつの努力だったのである。そして「我慢」こそが、日本が第二次世界大戦から立ち直り、バブル崩壊後の「失われた10年」を耐え抜くことを可能にしたのである。
いやむしろ、日本人はもっと不平を言ったほうがいいのかもしれない。
そうすればおそらく、政治家はもっと答えてくれるだろう。

自然との関係性については、もうひとつの要素が関連している可能性がある。
アメリカ人は、自分たちを自然と対立した存在として考え、自然を飼いならそうとする。
対照的に日本人は、人間は自然の一部であり、それに身をまかせるものと考える。そしてその自然は、たくさんの地震をもたらしてきた。
1923 年の関東大震災は、10万人もの命を奪っている。
日本語の「自然」という言葉は、たった100年と少し前にできた新しい言葉である。
なぜなら、そのような概念をわざわざ表現する必要が、伝統的に無かったからである。
神戸の震災の後の本紙エッセイに、私が同じようなことについて書き、日本の最も偉大な俳人、松尾芭蕉の句で締めくくっているものがある。

    憂き節や竹の子となる人の果て

日本の回復力と不屈の精神に、私は気高さや勇気を見出している。
そしてまもなく世界は、それを目の当たりにするだろう。
これはまた、綿密に編まれた日本の社会組織、その強さと回復力が、輝きを放つときでもある。
私は日本の人々は必ず力を合わせてくれると信じている。
その姿は、分裂と口論と私利私欲にまみれたアメリカの政治の現状とは対照的であると言っていい。
私たちには、日本から学ぶことがある。
私たちの思いは日本に向かっている。
痛ましいこの地震に深い同情と、そしてまた、心からの称賛を表したい。
(訳:英語塾 田畑翔子)
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